私は古着が好きです。
特に1950年代から80年代にかけてのいわゆるヴィンテージと呼ばれるジーンズ、Tシャツ、ジャージ、Gジャン、ミリタリージャケット、パーカー、スニーカー等々が非常に好きで、クローゼットの中はまるで古着屋さんのディスプレイのように洋服が並び、その重みでもう床が抜ける勢いで積み上げられており、奥さんからのヒンシュクを爆買いしております。
中でもスニーカーやワークブーツの数は相当なもので、
オールドナイキ、アディダス、コンバース、ニューバランス、レッドウィング…
正確に数も把握しておらず、もう置く場所が無く、枕元にまで靴が並び、奥さんからのヒンシュクを爆買いしております。
中でもコンバースオールスターが数多く占め、ざっと30足以上はあるでしょうか、
特にUSA製のコンバースはいわゆる「デッドストック」と呼ばれる80~90年代当時の履かずに箱に入ったままの靴が山積みとなっており、先日の大地震にて何重にも積み上げられていたスニーカー箱の崩壊に更なるヒンシュクを爆買いしております。
コンバースは私が中学生となり初めて買った「ひもぐつ」であり、
小学生の頃母親が買ってきた、半ば強制的に履かされていたよくわからないメーカーのダサい靴ではなく、周りの友達が履いているのをみて、俺も欲しい、と自分の意志とセンスで買った初めてのスニーカーでした。
そんな崩れ落ち、辺りに散乱し、どこからどう手を付けていいものやら呆然と立ち尽くしながらコンバースの群れをぼんやり見つめ、ふと脳裏に浮かんだ遠い日の思い出…
そういや中学ん時、なんだか校則とはまた別に「謎のルール」があったなぁと。
私が中学生だった1980年代当時は、ンまあ不良文化の真っただ中で、毎日が何らかの事件だらけの
とんでもない中学校でした…スリリングな毎日だったけど楽しかった。
「謎のルール」というのは、靴でした。
当時コンバースが大流行してました。
もちろん今でもコンバースは定番のスニーカーであり、様々な色や形でおしゃれを楽しめますが、
当時は全校生徒がコンバースを履いているくらいコンバース流行の時代でした。
当然カラフルなコンバースを履いて学校に行きたいところです。
しかし、当時うちの中学には
「1年生のコンバースは白か黒のローカットしか履いてはいけない」
という校則に定められているわけではない、上級生界隈が勝手に決めたっぽい
「謎のルール」があったのです。
ローカットとは普通の形のいわゆるスニーカーであり、
ハイカットと呼ばれるバスケットシューズ(バッシュ)は、なぜか1年生は履いてはいけないという謎のルールがあったのです。
2.3年生の先輩たちの足元を見れば、赤・青・黄色・緑・ピンク…ホント色んなカラーのコンバースで学校に来ていました。特にハイカットがかっけぇなぁ…
そんな爽やかな青空の5月のある日、
ファーストペンギン友人Mはそんな謎のルールを知ってか知らずか、
スカイブルーのハイカットのコンバースを履いて学校に来ました。
かっけぇじゃん!いいなぁ!と僕らは彼のコンバースを大いに称賛し、羨望しました。
彼も得意満面。俺も絶対ブルーかグリーンのハイカット買う!と心に決め、
初めてのコンバース購入計画に心弾ませました。
しかし、そんな中1いや小7の僕たちのささやかな且つ大人の階段第一歩計画に水を差すような切なく悲しい事件が起きたのです。 つづく
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