梅雨明けといえば、で思い出すことがあります。
今から約30年前になりますか…私は学生最後の夏を満喫しようと様々な予定計画を立て、
まさに「夏の日の1993」を過ごそうとしていました。
(意味が分からないヤング諸君はお父さんお母さんに聞いてみようw)
7月の末に前期テストが終わり、さて海行こうか、さてキャンプ行こうかと考えているものの、
一向に梅雨明け宣言がありません。
7月も終わりだというのに毎日うすら寒いし毎日ずっと曇り。
太陽が出た日などほとんどなかった。
一度だけちょっとばかり激しく太陽が見えた日があった。
この感じで行くとこれは今日しかチャンスはない、とばかりに友人と二人、颯爽と海へと繰り出し
ました。
家を出るときは何とか晴れていたものの、海へ近づくにつれ、厚い雲が太陽にかかり始め、
海に着いた時には完全に曇ってしまった。
それでもせっかく来た昨年以来の海、なんとか楽しもうと思ったものの、これがまた寒い。
海パン一丁に海風が染み渡る、唇も紫色になりつつある。
かき氷なんてもっての外、ただただ太陽が再び顔を出すことを願いながら砂と戯れていた。
どれだけ時間がたったのだろう、寒さを紛らわすため必死に砂浜に穴を掘っていたのか、
その穴はいつの間にか体がすっぽりと入るほど深く巨大になっていた。
せっかくなのでその穴に友人を埋め、頭だけ出して完成を祝っていたところに悲しいお知らせが。
まさかの大雨、しかも雷付き。
友人と二人、海の家に逃げることもせず、どうせ濡れるんだしと言いながら私は砂浜に大の字で寝転がり、友人は砂から出した頭にザアザアと大粒の雨を浴び、ゲラゲラ笑っていた。
これが学生最後の夏の思い出かと思うと笑うしかなかった。
その後も一向に晴れる日はなく、結局夏休み期間中太陽を拝む日はほぼなかった。
「梅雨明けがはっきりしないまま季節が進んでいる」という聞いたこともないような発表で、
その年は梅雨明け宣言も夏もないまま、いつの間にか秋へと季節は変わっていったのだ。
この出来事も今年の梅雨明け最短記録同様、1951年の統計開始以来初めてのことだったそうだ。
この記録的な冷夏の原因は、オホーツク海高気圧(普通なら太平洋高気圧)が現れ、
いわゆる「やませ」(冷たい季節風)が吹き、低温・多雨・日照不足となったらしい。
前代未聞の冷夏の影響は相当なもので、夏物衣料は売れないわ、エアコンは売れないわ、ビールは売れないわで、1993年の社会経済に大きな打撃を与えました。
更にヤバかったのは、米がほとんどできなかったことです。
米の出来不出来を表すいわゆる作況指数は「80」の「著しい不良」という、これまた過去の不作の年の比ではないくらいの大不作の年となり、実に1913年以来80年ぶりの大冷夏となったのです。
その結果日本全国では米不足が起こりました。
世にいう「平成の米騒動」です。
米屋さんやスーパーから米が消えたのです。
国は価格高騰を防ぐため、外国から米の緊急輸入を進めました。
資料によると、中国から108万トン、タイから77万トン、アメリカから55万トン、オーストラリア
から19万トン輸入したそうです。
しかし、その時輸入された米の多くはインディカ米(いわゆるタイ米と呼ばれる粘り気の少なく、独特の匂いがある細長いコメ)で、炊いて食べる日本の米と違って、ゆでて蒸らして食べる米なので、炊飯器で炊くとそれはそれは相当な匂いがして日本人の食生活には合わなかったのです。
この「平成の米騒動」の緊急輸入で各国から多大なる援助を受けておきながら、結局98万トンが売れ残った挙句、「臭くて食えたもんじゃねぇ」という態度は、本当に飽食日本を象徴するようなよくない風潮を露呈させました。
こうして梅雨明けも特定されず、未だあの年の梅雨明けはいつだったのかと言われるくらい、
これまた異常な「夏の日の1993」は終わりました。
温暖化も地球規模での問題となり、あの夏以来どんどん暑さが増し、
こうして6月には梅雨明け宣言が出される現在。
今年は雨が全く降らない暑すぎた夏で、米が不作となることも予測されているので、
「令和の米騒動」とならなければいいのですが。
この史上最短の梅雨明けが将来的に、あれは異常な早さでした、6~7月は雨の季節です、
という風景はこれからも変わらず美しき日本の風物詩として続いてほしいものですし、
30度ちょっとで、今日は暑いねぇって言えたあの夏に戻れるようになったらいいなとも思います。
そのためにも一人ひとりが地球温暖化をこれ以上進行させない工夫を心掛けた生活をしていくことも大切なのかもしれません。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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